PAU HANA

PAU HANA  ハワイ語で” 仕事の終わり ”って云う意味。
引退と云う意味も有るけどね。 
パウ が 終わり、 終わった、 なしおえた と云う事。
ハナ が 仕事、 労働 と云う意味。


ロナルド・タカキ著 ” パウ・ハナ  ハワイ移民の社会史” と云う本がある。

日系移民3世が書いたハワイ王朝末期から、世界各地から集められた移民労働者のハワイ混合文化形成にいたる100年史ってやつ。


各国からの移民と、ハワイのリゾート化の流れによってアロハ・シャツというのが自然発生的に生まれてきたようだ。

だから、アロハ・シャツのことに興味を持って調べて行くと、必ず移民の歴史に行き当たる。

移民は何故必要だったのか?

これは砂糖プランテーションの設立から。
砂糖は中米辺りで生産されていて、当初は東海岸 ニューヨークを中心とする消費構造だったのが、西海岸・カリフォルニアの開発から近くに供給地を設けることでビッグビジネスになると考えた砂糖業界人がいた訳。
プランテーションの労働力はハワイ人を予定していたけど、欧米人が持ち込んだ疾病により急速に人口を減らし対応力が無くなった。 このため、各国からの移民を募集し労働力の確保を行なう必要が出てきた。

最初の頃1870年代は中国人が中心だった、中国人はある一定の期間、2~3年の契約期間が過ぎると本土に渡るか、貯めた金で商売を始める人間が多く固定した労働力とならなかった。   さすが華僑。


そこで、日本人。

そりゃ明治の日本人だから、今と違うよね。
シッカリ、勤勉、良く働き真面目。 
逃げないし、商売もしない。 
願ったりかなったりの人種かな?
1880年代に労働者数で中国人を追い抜いた。
他の国で多かったのは、1890年代からのポルトガル人、1900年代からのフィリピン人、でも圧倒的に日系人が多数を占めてた。

日本からの最初の移民はいつか知ってる?
おどろくよ、 明治元年 1868年に横浜からサイオト号と云う船で153人が渡航した。

船の中でヒトリ亡くなり、 ヒトリ誕生した。
この人達が後のハワイ熱と呼ばれる移民熱で渡航した人たちから元年者と呼ばれるようになった先駆者。
とんでもない苦労をしたみたい。

この後に、ワイキキの道路の名前にもなってるカラカウア王が1881年から世界一周の旅に出かけ、途中で立ち寄った日本で明治天皇と会い、外務卿の井上馨と移民策の増強について交渉すると共に、姪のカイウラニ王女と山階宮定麿親王を結婚させてはどうかと提案した。
結婚により日本の皇室との縁戚関係になって欧米に対する牽制も考えたみたい、これは実現しなかったけど移民に関してはその後官約移民として大規模な移民がスタートした。
でも、結婚の方が進んでいたとしたらネ、 ハワイがより身近に感じるでしょ。
カイウラニ王女は早くで亡くなったけど、残ってる写真で見ると結構な美人。
もったいないなぁ~










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